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秋田県の名物といえば日本三大うどんにも数えられる「稲庭うどん」。稲庭村と呼ばれていた街道沿いの小さな宿場町は昭和31(1956)年に川連(かわつら)漆器で有名な川連町、農業の盛んな三梨(みつなし)村と合併し、稲庭川連町となった(昭和41年に稲川町に改称)。『稲川町史』によれば、乾麺である稲庭うどんを初めて製造したのは、稲庭村に住んでいた佐藤市兵衛ではないかとされているが、はっきりと記録に残っているのは、寛文5(1665)年に創業した佐藤吉左衛門(後に稲庭姓を名乗る)だ。

 

秋田県内陸南部に位置する稲庭一帯は秋田県内でも有数の豪雪地帯。冬の訪れが早く、春の遅いこの地では穀物の生産は年に一度だけで、冷害の恐れも多い。だからできるだけ確かな収穫が望める穀物が必要だった。小麦は稲に比べて寒さに強く、稲作に適さない土地でも栽培することができる。このため稲庭村の隣の三梨村では江戸時代、小麦の栽培が行なわれていた。収穫した貴重な小麦をよりおいしく、長期間の保存にも耐えられるように試行錯誤を繰り返したのが佐藤市兵衛や稲庭吉左衛門。小麦の主産地でつくられるうどんの数倍もの手間をかけ、丹念に乾麺に加工した稲庭うどん。

 

稲庭吉左衛門のつくるうどんは宝暦2(1752)年には秋田藩御用となり、「稲庭干饂飩」の名称を与えられた。しっかり乾燥させた稲庭うどんは高級保存食であり、秋田藩の贈答品としては最適。将軍家への献上品や大名たちへの贈り物として使われていた。名声が高まるにつれて偽物が出回るのは世の常。名字帯刀を許された吉左衛門は、偽物の横行を取り締まる「取り締まりの役」を命じられたとの記録も残っている。

 

、稲庭うどんを真似た類似品や粗悪なコピー商品が出回るなど、ブランドのイメージダウンが危ぶまれた。そこで本場に伝わる伝統の味を守り、一致結束して良質なうどんをつくろうと、平成13年「秋田県稲庭うどん協同組合」を設立。